東日本の震災から早11ヶ月。たまにはこんなポストをしてみる。
震災後の仙台哲学カフェイベントでも紹介された、
作家・辺見庸さんのNHKインタビュー映像が、再放送されていました。
彼は、この震災の大破壊現象はどういうことだったのか、単に命やものが流されたということじゃなく、どんな現象だったのか、それとも意味などなかったのか。言葉などに何ができるのか。全身で理解しようとする。
あちこちで紹介されていますが、その時に書かれた詩を引用します。
「死者にことばをあてがえ」 辺見庸(作家) 2011年4月18日脱稿
わたしの死者 ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇 ひとつひとつに
他とことなる
それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない
かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬え
砂いっぱいの死者に
どうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者は
それまで どうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者は
それまで どうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊はまだ咲くな
畦唐菜はまだ悼むな
わたしの死者
ひとりびとりの肺に
ことなる
それだけの
ふさわしい言葉が
あてがわれるまで
NHK「こころの時代:辺見庸が語る大震災『瓦礫の中から言葉を』」より
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最後に、「詩と思想」10月号で語られた彼の言葉を紹介します。
─「この思いは、この国の(ことばを持つ存在として責務を負う)ひとの、現在的かつ根源的な欲望である。私たちは、おのずと深く抱え込んでしまっているこの悲痛な欲望と、もっと誠実に向き合う必要がある。再び無表情に動き出した「日常」のシステムによって、内なる死者たちを忘れさせられ、復興や再生や未来を語らされてしまう前に。」
私的には、「あなたは一人じゃない」という届かぬ言葉しか出せなかった一大消費機構が、今までの価値観が、この震災で変わるのかもしれない、なんて(少しわくわくもしながら)思いましたが、、まもなく1年。全体で見たとき何かが変わったでしょうか。